Beauty is multitude in unityBeauty is multitude in unity & unity in multitude Mevlana Jalal al din Rumi says, 『魂を探していたとき海面に珊瑚が現れたが、 その後、水泡にまぎれ隠れてしまった。 暗澹たる気持ちで狭く細長い道を歩き始めた。 長いこと歩き続けるとやがて目の前に砂漠がひらけた。』 『真珠を探しているのなら、源流では見つからない。 深い海の底まで潜らなければならない。 これほど貴重な真珠は、生命という海に潜ったとしても 一滴の水に濡れることなく上がって来られる勇者にこそ相応しい。 空気中や天空の原子さえも 我らにとってはバラ園であり、リンゴ園である。 確かに金も鉱物の一種であるが、 一粒一粒に魔法がかかっており、 そのなかには計り知れない世界が潜んでいる。 我々の知っている無生物のすべては、 この世では生きていないと考えられている。 しかし、それらは真実の世界においては生きている。 こちらでは無言であるが、あちらでは語り続けている。 命がないように見えるすべての存在が 「我らは聞くことができるし、見ることもできる。 しかし、あなた方のような、 よそ者で分別のない人々に対しては黙り続ける」 と言っている。 寛大さと援助において大河のようであれ。 優しさと慈悲において太陽のようであれ。 他人のいたらなさを覆い隠すような夜であれ。 憤怒と苛立ちに対して死人のようであれ。 謙虚さと慎ましさにおいて大地のようであれ。 寛容さにおいて大洋のようであれ。 あるがままの自分をみせなさい。 さもなければ、見えているようなままの自分でありなさい。 アイラインは耳にひくものでは無い。 心の役割を肉体に求めることはできない。 真実は魂の目、心の目によって見るものである。 あなたが棘でないならば、バラを持って庭においで。 あなたがよそ者でないならば、我らに馴染み、こちらにおいで。 あなたが蛇でないならば、顔を毒に変えないで。 壁の絵でないならば、この絵をながめ、この文字を読め。 草地やブドウ畑、庭園を踏むにふさわしい足はどこにある。 足も目も恋の炎に燃える恋人。 だからどうか恋の炎に焼かれる価値あるお方を見せておくれ。 ブドウ畑や庭へ来て、生い茂った緑を見ておくれ。 四隅でバラを売る店を見て バラはナイチンゲールに微笑み、 「静かに!静寂を保ち修養を積んでくだされ」 と頼んでいる。 言葉は視界を曇らせる。 静かに、何も言わぬがいい。 船は海上を滑ってゆくが、 船から沿岸の竹林を見る人には竹林が滑って行くように見える。 この例のごとく、我らがこの世から去って行くのに、 この世が去って行くかのように錯覚する。 葉っぱは力を出し、枝を割って出てきた。 糸杉は地面から伸びて大きくなった。 つぼみはバラ色に色づいて忘我の境地に達している。 どうやって因われの暗闇から解放されたのだろう。 どう修業してこの偉大さに到達し、 自己の限界を超克できたのだろう。 我らもそれを学び、その道を歩みだそう。 バラよ!なぜ笑顔を見せないのか、 愛する人との別れの苦痛から自由であるのに。 雲よ!なぜ泣かないのか、 親友から離れ離れになっているのに。 バラよ!もうまる三ヶ月もひそかに棘の内側で走り続けてきたのだ。 もはや緑で着飾り、晴々と微笑んでおくれ。 あのお方がばら色の御顔をお見せになれば、 無生物と思われるものさえ活気づく。 小石や岩さえ歓喜にあふれ、くるくると踊りだす。 主よ、あなたに恋するもののため、 もう一度だけでも御簾より御顔をお見せくだされ。 そうすれば、利己主義も迷いを生じ、 分別あるものも自己陶酔や過信を省み、 道を改めるであろう。 人の子よ!かつての忠誠に立ち返り、 その思いを新たにしなさい! 今度こそ、しかとそれを守れ。 我が一生をかけて得たもの、 全財産は「ああ」という最後のため息のみであった。 心の設計者たる主は大地にどんな形を与え、 何を描くのであろうか! どんな符号をまきちらし、 どんな真理をつづるのであろうか。 また、どんな名前を記録するのであろうか。 あなたを掛け算のごとく別の人と掛け合わせる。 この掛け算からいかなる結果が生じるのであろうか。 掛け算を見た後は、割り算も見てごらん! ほら海を見てごらん、 永遠に波を生み出し続けているではないか。 原子のふところが日差しに満ちた瞬間、 すべてが天の叫びなくして立ち上がり、踊りだす。 七段目の天の屋根は偉大であるが、 天への階段はその屋根さえ突き破るほどさらに偉大である。 知性の枝や節はそよ風に吹かれて伸び広がり、 竪琴の一掻きとともに幹が成長し安らぎに達する。 人間とは瞑想であり、それ以外は外皮に過ぎない。 残りは少しの肉、少しの骨、少しの毛髪。 明るい考えの持ち主ならば、あなたはバラ園のようなお方。 刺々しい考えを持っているのなら、あなたは暖炉の薪である。 あなたがバラの香水ならば、頭や胸にふり注がれ、大事にされる。』 |